存在の証明と不誠実な今
私は未来を予知する事が出来る。例えば株価の上がり下がりだったり、これから自分に起こる出来事だったり。どんな事でも予知したいと思えば予知する事が出来る。
予知をする時も、別に視界に未来が映るだとかそういった事もなく、ただ何となく、気づけば未来を知っている。
幼少の頃、同じような話を両親にしたがアニメの見すぎだと一蹴された。そしてそれ以来、私は誰かにこの能力の事を伝える事を自重した。「言っても信じて貰えない」というのがこの能力の事を喋らなくなった当初の理由であったが、成長するにつれて、どちらかというと利己的な方向に理由が変わっていった。つまり「言えば他人に自分が利用される」や「この能力を自分の為だけに使えば不自由のない生活が確約される」といった理由に。
一時期はそんな考え方に多少の罪悪感を感じていたが、自分の為だけに予知能力を使いのし上がった今の私にはそんな罪悪感は微塵も無い。
さて、そんな私が何故こんな事を書いているのか? 罪悪感がないのだから懺悔ではないし、自分が死ぬのもまだまだ先だ。遺書でもない。
私がこんな事を書いているのは……そう、「わからない」からだ。
未来を自由に予知出来る私にはわからない事はあまりないと思っていた。予知するこの力を応用すればどんな難しい理論も理解出来たし、今の科学じゃわかっていない事だって知っていた。
ただそんな私にもわからない事があったのだ。それは自分の事である。
今の私が、未来を予知している自分に予知されている者で本来の私はまだ少年なのではないだろうか。
だとするのなら昔の私が今の私の姿にはなりたくないと、私が今まで歩んできた道とは違う道を進んだとしたら、今ここにいるはずの私はどうなるのだろうか。わからないのだ。本当の私が一体何処にいて何を考えているのか。自分が本当の私なのか、それとも自分に予知されただけの存在なのか。
私は今の自分という存在がなくなってしまうのが怖くてたまらないのだ。例えば昔の私が今の私を予知して、それでも良いと私と同じように未来を進んだとしたら私はなくならない。何故なら昔の私が今の私になるのだから。
でも昔の私が今の私と同じ道を歩まなかったら? 私という存在は消えてしまう。なかった事にされてしまう。それは私が消えてしまうという事だ。私にとってそれが何よりも怖い。
私は確証が欲しいのだ。今の私がちゃんと存在しているという確証が。
だが私はその確証が得られない。今の私が昔の私に予知されただけの存在である可能性があるからだ。
だから私はこんな懺悔めいた事を書いている。今、ここに私がいたという確証を得る為に。
自分の事を他人が知れば、それは現実になる。それは自分が存在している確証となり得るのだ。
だから書いているのだ、こんな事を。
他人に自分を知って貰う為に……自分が今、ここにいたという確証を得る為に。
end
(構想込みで約30分で作成した為、粗だらけです。
なのでこの文章に関する批判は勘弁して頂けると助かります。はい)