例えば君の前にとびっきりの美女(美男)がいたとして、その美女は君を誘っていたとしよう。
君はその時、彼女に飛びつくか、それとも無視をするのか。君は自分で決めているつもりでも、そこには人間の言う意思の介入はない。
「仮に誘いを断ったとして、断ったのは自分の意思からだ。じゃあその意思は何処から出てきたんだ? 断る理由があるから断ったのか? でも断る理由があっても断らずに誘いに乗る事も出来たはずだ。そこには意思の介入がある。が、その意思は何処から出てきたんだ」
つまり、意思を決定付ける何か得体の知れない物がある限り、意思には自由がなく、自由のない意思は意思とは呼べない。
つまり意思なんてないのだ。同じような理由で思考にも自由はない。
ここで意思を決定付けている物もまた意思だ。と考えた方は、その意思を決定付けている意思は何かに決定付けられているかどうかを考えてみて欲しい。結局のところ同じ結論に行き着くはずだ。
因みにこんな面倒な事をわざわざ考えなくても、これと同じような結論に行き着く考え方がある。
それは「物理的に考える事」である。
脳は外部からの刺激に対して、機械的な反応をしているに過ぎない。我々の思考や意思は結局のところ、脳が出す反応に過ぎないのだから、そこに「自由意思」なんて絡む事はない。
一般的な物理観で考えれば、横道に逸れない限りは簡単にこの結論に行き着くと思います。っていうか私はこの結論に行き着きました。
でも量子力学の世界だと(その辺に関しては詳しく勉強してないので、思いっきり間違っている可能性もありますが)物体は一定じゃないんですよね。一定じゃないっていう事は↑の考え方は根本から間違っている訳で。
冒頭で自由意志も思考もない。と断言しつつ実際のところは「わからない」が適当ですね。
でも私はどうしても自由な意思っていうのが想像出来ないんですよね。
我々、もとい私を決定付けているのは世界である。なんて突拍子もないような事の方が自由意志があると考えるより納得出来るのは私の自己把握がまだ浅いせいなのかなぁ。